リビング京都 東南版 11月2日号
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平安貴族を魅了した小倉山(標高286m、写真右側)の紅葉。二尊院の本堂奥の階段を上った山の中腹に、百人一首を選定したといわれる亭跡の碑が建てられています。常寂光寺の境内には定家の歌碑も二尊院の総門をくぐり本堂に向かう参道は、通称「紅葉の馬場」【二尊院】京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27、JR「嵯峨嵐山」駅から徒歩約20分、拝観時間=午前9時~午後4時30分、拝観料大人500円、☎075(861)0687周囲約1㎞の大沢池。大覚寺本堂の観月台から一望できます【大覚寺】京都市右京区嵯峨大沢町4、市バス・京都バス「大覚寺」停すぐ、JR「嵯峨嵐山」駅北口から徒歩約15分、拝観時間=午前9時~午後5時、拝観料大人500円、☎075(871)0071国指定名勝地「名古曽の滝跡」は、大沢池の東奥にあり、高さ2mほどの石組みが残っています平安初期に嵯峨天皇が離宮として建立した旧嵯峨御所大覚寺門跡。一般的に大覚寺と呼ばれ、その境内東側に広がる大沢池は、建立に合わせて造られた庭苑池(ていえんち)です。「名古曽(なこそ)の滝」も池の一部として造成されたものですが、現在は国指定の名勝地として滝跡が残されています。大覚寺・大沢池では、ひんぱんに歌会などが催され、平安時代の貴族の人気「この歌は、百人一首では〝雑〞に分類されています。雑というのは、四季や恋以外の歌ということ。平安中期の貴族・貞信公(藤原忠平)が、名所小倉山のモミジに自分の思いを託した歌です」と京都百人一首・かるた研究会代表の河田久章さん。歌に登場する小倉山は、右京区嵯峨の桂川沿いに位置する小山。かつて、嵯峨嵐山一帯は貴族の別荘が点在し、百人一首の生みの親である藤原定家(以降・定家)も、山荘を構えていたのだとか。「定家が、鎌倉幕府の武士で歌人でもある蓮生(れんしょう・宇都宮頼綱)に頼まれて、歴代の歌人の歌を色紙に書いたのが百人一首です。定家と蓮生は大の仲良し。蓮生も同地に別荘を持っていたので、そこで持ち上がった話ではないでしょうか」百人一首を選定した山荘は時雨(しぐれ)亭と呼ばれ、江戸期の観光ガイド・都名所図会では、山麓の常寂光寺、二尊院、そして厭離庵(えんりあん)の3カ所が紹介されているとか。現在も諸説ありますが、いずれもモミジの美しさが往時をしのばせる場所です。さわやかな秋空の広がる行楽シーズン到来! 〝紅葉の錦〟を愛する気持ちは、今も昔も変わりませんよね。「百人一首」誕生の地・京都には、歌や歌人と関係の深い場所が数多くあります。百人一首愛好家の案内のもと、いにしえの時代に思いをはせながら、秋の彩りを楽しんでみませんか? スポットだったとか。「この歌を、平安中期の貴族で歌人の藤原公任(きんとう)が詠んだときには、すでに滝の水は枯れていたことがうかがえます。拾遺集という歌集に、公任が〝瀧のいと〞と呼んだバージョンが掲載されていて、誰が〝瀧のおと〞と変えたのか気になるところです」と河田さん。滝に水が流れる様子を〝いと〞と表現した、公任のセンスがすてきですよね。編集/山舗 掲載日:1102 出稿表:001-9 サイズ:全8 記事名:フロント1面_百人一首紅葉制作宮本出力→編集部●●宛2013年11月2日1652号☎075(212)4411㈹http://kyotoliving.co.jpリビング京都がまるごと読めるあります電子ブック11月9日号は休刊です。次回は11月16日号になります。
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