リビング京都 西南版 2月27日号
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御土居周辺(北区)◇2面に続く1591年、豊臣秀吉が築いた防壁・御土居(おどい)。敵からの攻撃に備え、外側には堀を巡らせ、土を盛ったとりで(土塁)が造られました。北は鷹峯、南は九条通、東は鴨川、そして西は北野天満宮の西側を流れる紙屋川の辺りに沿って、京都の町をぐるりと囲んでいたといいます。「東西の端は、それぞれ川を利用して堀が整備されました。紙屋川沿いには、堀の遺構である低地と、御土居跡周辺の住宅地とを結ぶ階段が多数あるんです」と梅林さん。そこで、御土居の北西部にあたる紙屋川沿いのエリアを北上し、階段を探してみることに。スタート地点は北野天満宮の少し北。蘆山寺通と交わる紙屋川沿いの道を進むと、早速左手にある「衣笠公園」の南隣に階段(写真①)を見つけました。住宅地にある階段。その何げない風景には、歴史的背景が隠れていることも。地形から町の歴史を探り、観光ガイドなどで活躍する「京都高低差崖会(がっかい)」の〝崖長〟・梅林秀行さんが、階段にまつわるエピソードを紹介してくれました。さまざまな時代の風景を、階段が教えてくれましたよ。※いわれには諸説あります※地図内の 印が階段です※御土居ライン…御土居の土塁が築かれていた想定地撮影/山﨑晃治イラスト/オカモトチアキ北大路通に上がれる、南側の階段左手に広がるのは、土塁の形が保存された「御土居史跡公園」。盛り上がった土には木が植えられています。もともと土塁の上には竹林が広がっていたとのことなので、当時の様子が伝わってきます佛教大学近くにある階段は幅1mほどの狭さ。土塁の上だった場所に続きますを走り、堀の部分がトンネルになっています。トンネルの両端には、北大路通に続く階段がありました(写真②)。「近代に入り、堀をまたぐようにして北大路通が開通。北大路通を見上げると、堀の深さを実感できますよ」紙屋川の東側、佛教大学近くには住宅に挟まれた階段(写真③)が。「奥の階段の下までが、御土居の堀の部分。階段の上は土塁が築かれていた場所です。土塁の上に建てられた住宅と、堀にできた道とを階段がつないでいます」町の中に溶け込んでいる御土居の、本来の姿を感じさせるのが「御土居史跡公園」。南側には、公園に隣接する住宅地へと階段(写真④)が続きます。「土塁の上にできた住宅地に行くための階段です。御土居は江戸時代以降に壊されていきますが、〝土地の記憶〞は簡単には消えません。階段の高低差によって、御土居の存在が確かめられます」の「紙屋川に面して設置された階段です。以前はこの階段の一番下の段辺りまで、御土居の堀が広がっていました。今は川幅が狭くなって道ができています。階段を上がった先は御土居の外側にあたる住宅地。堀を狭めて公園や家、道を造ったため、階段が必要になったんです」次は紙屋川沿いの道と、北大路通が交差するポイント。北大路通が上〝高低差〞が町の歴史を教えてくれますぼく、「ダンダン」も一緒に案内するよ紙屋川沿いにある、深い堀の名残この電柱の下まで水が流れ、堀になっていたんだって先に進むと、御土居跡に広がる住宅地に出るよ御土居ライン紙屋川金閣寺★千本通佛教大学衣笠公園御土居史跡公園北大路通鞍馬口通北野天満宮西大路通❶❷❸❹蘆山寺通「堀の深さは最大4mほど。こちらの衣笠公園横の階段は長く、5段階に区切られています」と梅林さん〝階段案内人〟は「京都高低差崖会」の梅林秀行さん12342016年2月27日1750号
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