リビング京都 東南版 2017年3月25日号
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◇2面に続く上賀茂の住宅街で見つけたのは「北大路魯山人生誕地」と記された石碑。カキツバタで有名な大田神社の鳥居の前に立っています。北大路魯山人(1883〜1959年)は陶芸家、書家、画家、篆(てん)刻家であると同時に、美食家としても知られる才能豊かな人物です。没後50年である2009年、上賀茂自治連合会、上賀茂社会福祉協議会、賀茂県主同族会、賀茂文化研究会、賀茂別雷神社と京都市が協力して、この石碑が建立されました。上賀茂文化推進委員会の会長で、上賀茂自治連合会副会長でもある藤井豊一郎さんは、「魯山人は上賀茂の社家に生まれ坂本龍馬といえば、ドラマに取り上げられたりと、ファンも多い幕末の人物。その坂本龍馬が、妻・お龍と結婚式を挙げた場所が京都にあるので続いて訪れたのは、地下鉄「烏丸御池」駅近くのビル街。ここに室町時代の痕跡があるのです。それが、京都府保健事業協同組合の敷地内の植え込みにある「足利尊氏邸・等持寺跡」と書かれた石碑。「建てたのは1995年。組合の創立45周年の記念事業の一環として作りました」と同組合事務局長の北條武司さん。この辺りには、室町幕府を開いた足利尊氏(1305〜1358年)の三条坊門第という邸宅があり、そこで尊氏は政務をとっていたのだとか。まさに、幕府の中心地だったのです。その後、この邸宅は足利氏の菩提(ぼだい)寺である等持寺に改められました。そのため、「足利尊氏邸・等持寺跡」と記されているのです。「2年ほど前には解説文のプレートを作り直しました。立ち止まって見たり、写真を撮ったりして、見てくれている人も多いんですよ」街を歩いていると、時々目にする石碑。そこに刻まれている文字を見ると、「えっ、ここにはそんないわれが?」と発見をすることもありますね。周囲の雰囲気がどんなに変わっても、土地の歴史を今に伝えてくれる街角の石碑。ちょっと立ち止まって眺めてみませんか。す。それを示す石碑が、三条通の白川橋を東へ進んだマンション前にある「坂本龍馬 お龍 『結婚式場』跡」。2009年、NPO京都龍馬会が建てたとのことで、同会の理今年は龍馬が亡くなって150年。幕末の日本を駆け抜けた龍馬の幸せいっぱいの結婚式。そんな姿も目に浮かびます撮影/舟田知史事長・赤尾博章さんに話を聞きました。「この場所にはかつて、青蓮院の塔頭(たっちゅう)・金蔵寺があり、そこで1864年に龍馬とお龍が『内祝言』を挙げたんです。金蔵寺はお龍のお父さんと関係が深い寺でしたので、住職が仲人をして、身内が集まって結婚式をしたといわれています」祝言を挙げたのは、池田屋事件や禁門の変が起こった後で、京都は混乱の真っただ中。この当時、坂本龍馬は勝海舟の弟子として、江戸と京都を行ったり来たりしていたのだとか。大変な状況のなかでも、お龍との新婚生活は龍馬に安らぎを与えていたのでしょうね。京都府保健事業協同組合の入り口、階段の横にある石碑。6月ごろには植え込みのアジサイの花が咲いて、石碑を彩るそう高倉通御池上ル多才な芸術家・北大路魯山人は上賀茂生まれ坂本龍馬の幸せな一日に思いをはせて足利尊氏による幕府の中心地は、今、ビル街の一角に「魯山人は人間国宝の打診を受けたほどの人物。結局は固辞しましたが、そんな人が上賀茂出身だったことを知ってもらえたら」(藤井さん)立ち止まり眺めると、京都の歴史に出あえます大田神社前三条通白川橋東入ルました。この石碑は、上賀茂文化推進委員会とPTAが協力して地元の小学生に地域の歴史を教えるオリエンテーリングのコースにも入っています。こういう人が地元出身ということを、子どもたちにも知ってもらいたいと思っています」。2017年3月25日1797号☎075(212)4411㈹http://kyotoliving.co.jpリビング京都がまるごと読めるあります電子ブック128Pオールカラーほんの150年ほど前まで、日本の歴史の中心であった「京都御所」。今に残る王朝文化の枠を極めた建築物やその役割、細部にわたる見どころをわかりやすく紹介しています。700円+税株式会社 コトコト〒604-8116 京都市中京区高倉通り蛸薬師上ル和久屋町350TEL.075-257-7322 http://www.koto-koto.co.jpオールカラー700円+税見る 歩く 学ぶ「京都御所」京都御所は通年無料公開です(月曜・年末年始・行事がある日は休み)午前9時~午後5時(入場は午後4時20分まで)※9~3月は日没時刻を考慮して入場時間が繰り上がります

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